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社交不安障害 ~否定せず折り合いをつける~ [雑感]

 幼稚園3学期2回の参観日が終わりました。1回目は、大失態のあとで、先生も怒っていたし、行くのがすごく怖かったです。2回目も行きたくないのは同じ。参観のあとにクラスのママでランチ会があるというのはパスしました。もう、無理をすることはないと思うことにしてみたんです。

 社交不安障害を治すには、場数を踏むしかないということで、2学期はだいぶ頑張りました。ランチ会にも行きました。そして冬休みはすっかりへばってしまった上の、新学期開けの大失態。無理しすぎたかなと思います。
 来年度は、幼稚園行事の流れもわかっているし、必要最低限を見極めていこうと決めました。年長ならではの行事とか、入学準備もあるから、最低限にしても大変かもしれないのだけど、「無理しない」を合言葉にします。
 小学生からひきこもりつづけた私が、他の人と同じようにできなくて当たり前なんです。それを、普通のフリをしようとするからいけない。私には他の人が普通にできることがものすごく大変なんだと、自分で認識することが必要なのかもしれません。

 参観へ行って、顔見知りのママさんとほんの少しお話して、大勢の女の人たちがいる場所にいたときに、自分の中に沸き起こってきた気持ちを考えてみたんです。
 普通に雑談することすら、ものすごい負荷を感じる自分。快活に会話し、人付き合いをしている人たちを見たときに感じる劣等感。強く「自分はダメな人間だ」と思っていることに気づきました。

 この「自分はダメだ」と思うことが、一番辛いのではないかと思います。私が幼稚園行事などで辛くなる理由の正体。上手く人付き合いできないこと、快活に雑談できないことに対して、私自身が断罪しているのです。 まず、私は自分をダメだと思うことをやめるべきです。

 私は、人との関わりがすごく苦手で上手くできません。「社交不安障害」という症状を持っています。アスペルガーと思われる父親、ADHDの傾向を持った母親、コミュニケーションに問題のある、機能不全家族で育った人間としては、持つべくして持った症状と言えます。私がこの症状を持ったのは、いたしかたないことだったのです。

 私は、この症状と上手く付き合っていく方法を確立すべきです。治らない病とともに生きる人がたくさんいます。それと同じように、折り合って生きていくしかないのです。症状が出る自分を否定しても仕方ありません。この症状と折り合って生きていきたいです。





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2月の目標「絵を描く」 中間報告 [雑感]

 2月の目標として、絵を描くことに決めました。
 その記事→http://melogoo.blog.so-net.ne.jp/2018-01-29
 それ以来、ほぼ毎日絵を描いてアップできています。絵を描くことが楽しくなって、やめられません。一方で、絵に関するコンプレックスに向き合うことが目的なので、苦しいこともあります。でも2週間近く続けたら、それもちょっと越えて、楽しくなってきました。
 絵を描くことが優先されて、こちらのブログがなかなか更新できていませんが、絵をコンスタントにアップすることができているのは、このブログを頻繁にアップしていた経験があるからだと思います。「発信する」ということに慣れたからでしょう。

 ユニクロやGUを偵察してきた話とか、ファッションのことも書きたい記事があるのだけど、今は服より絵の方が優先されています。苦しいこともあるけど、絵とはいい趣味を持ったなあと思います。ファッションを趣味にしていると、どうしても買う方向にしか広がりがなく、物が増えがちです。消費する一方ではない趣味があるというのは、とてもいいことですね。絵さえ描いていれば、購買意欲に悩むこともありません。

 でも、まだ書きたいことがあるのでブログを書く時間も意識して作ったほうがいいかな。上手く配分できたら、ひとつに集中するよりも両方が上手く回っていくかもしれません。
 1日1絵と1日1記事を意識して、努めてみましょう。もちろん実際にはアップするまで至らないこともあると思うのですが、一日のうち数分でも絵とブログ両方に向かう時間を作ってみようと思います。
 自分でコントロールできることにのみ取り組むというルールは、本当に気分がよくなります。がんばろ。




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2月の目標 絵を描く ~目的のシンプル化~ [雑感]

 年明けから、もう立ち直れないんじゃないかというくらいウツでしたが、少し元気になってきました。ちょっといろいろやってみたい意欲も湧いてきたので、やりたいことを書いてみます。

 ・ちーさんの誕生日までに、リカちゃんの洋服を作る
 ・ちーさんとるーさんの帽子を編む
 ・私の帽子かカバンを編む
 ・ブログ記事を書く
 ・1週間に1回くらいのペースで、イラスト投稿サイトに絵をアップする

 特に目標としたいのが、絵を描いてアップすることです。私は絵を描くことが好きですが、同時に絵についてはものすごくコンプレックスを持っています。このコンプレックスの解消をしたいのです。
 実は先日、絵を描いてアップしました。ところがアップしてから、粗が気になります。そこで、目的を変えることを思いつきました。

 今までは、自分や見る人を満足させる絵をアップすることを目的としていた気がします。「満足」って難しいです。よく言えば向上心があるせいなのかもしれませんが、自分で自分の絵に満足することはまずないといっていいでしょう。それは、どんなに上手いプロでもそうらしいのですから。また、見る人の満足を目的にするのもやめます。他人の気持ちのことですから、私にはコントロールできません。

 ただ単に「絵を描いてアップする」ということを目的にするのです。目的のシンプル化です。描く時間を作って描く。それは私にコントロールできることです。自分が満足しなくてもいい、コンスタントに描いて投稿すること。その目指すところは、コンプレックスの解消の一点のみ。そのための行動です。

 子どもの頃から持っていた、絵にまつわるコンプレックス。これがなくなったら、どんなに気分がいいだろうと思います。このやり方で、解消できるかもしれません。そう思うと、わくわくします。
 もうすぐ月が変わります。2月の目標として、とりあえず1ヶ月、挑戦してみます。とはいっても、最低4枚の絵を描けばいいだけですから、できるでしょう。なにしろ、上手な絵、立派な絵、良い絵、見る人を楽しませる絵・・・そんなことを意識しなくていいのですから。がんばっていきます。




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母の新学期ウツ [雑感]

 鬱が酷くなってきました。昨日おとといと、少し躁状態でした。このままほど良い状態になるかと思えたのですが、怒り爆発してしまいました。
 もうすぐ新学期だからだと思います。長年積み重なった新学期へのプレッシャーが、子どもの新学期と言うだけで、再び襲ってきたのです。子どもができたとき、不安だったことのひとつです。ふたたび学校や幼稚園と関わる生活になることが恐ろしかったのです。

 娘の通う幼稚園は、とても良い幼稚園だと思います。他ではなく、この幼稚園でよかったと思います。ただ入園前から知っていたのですが、この幼稚園は親参加型の行事が多いのです。
 頑張って参加してきました。平気なふりをして参加してきました。社交不安障害を克服するには、場数を踏んで慣れることしかない、そのためのチャンスだと思って。
 ほんの少し、他の親御さんと関わっただけで、目が合っただけで、あとからものすごく心が痛い状態になります。新学期になって、また再びあの痛みのある日々が始まるのだと思ってしまいます。

 新年、娘宛に年賀状が2枚届きました。去年も届いたので、私が返事を出したのですが、今年は娘に書かせました。私がつくるのが面倒だったのもありますし、娘が書いた方がいいだろうと思いました。私は文字は教えるつもりはなかったのですが、幼稚園で手紙のやりとりをする遊びが流行っているらしく、娘が興味を覚えたらしいので少しばかり教えました。
 私が怖れていた「勉強」の始まりです。「勉強」って、親が教えなくてはならないのでしょうか、やらせなくてはならないのでしょうか。「やらせなくてはならない」プレッシャーを感じます。なにかもう、刷り込まれているような強いプレッシャーです。

 娘は来年度に年長になります。小学校入学へのカウントダウンも始まります。息子も3年保育にするなら、娘の入学と同時に入園になる年齢差です。息子は2年保育でもいいか・・・と思っていました。でも、3年保育の方がいいような気もします。そんな迷いも生じています。

 もうすぐ新学期。3学期はそれでも行事が少ない方です。参観日が2つくらいと、アルバムづくり。でも、その行事にも、もう参加したくありません。幼稚園に行きたくありません。人に会いたくありません。苦痛です。鬱です。
 これまでは、あの服を着ようなんて考えて楽しみにするようにしていました。でもそれではごまかしがきかなくなってきました。鬱になったら、着るものなんてどうでも良くなってしまうからです。だからこそ逆に、着るもののことを考えます。

 もう3学期は、すべての行事に不参加でもいいんだと思うことにします。バス停に送迎して、お弁当を作るだけでも、充分ではないですか。最低限それさえできていれば、参観しなくても、アルバム作らなくてもいい。娘は字が書けなくても、縄跳びが飛べなくても、自転車に乗れなくてもいい。やらせなくてもいい。
 幼稚園だけでなく、家のことでも、もっと子どもの相手をしなくてもいいはずなんです。四六時中遊んでやらなくてもいい、おやつや食事作りを子どもに急かされるままにやることはない。でもこれができないんです。これができなくて、今日も爆発したんです。

 どうして娘は、四六時中遊んでもらいたがるのか、疲れたからやめると言うだけで、不満たらたらですねるのか。私が毅然としていないからか。どうして、はっきりきっぱり目を見て力を込めていっているのに、ひかないのか。もう疲れたよ、鬱なんだよ、頼むから休ませて。そう言っても聞かない娘。不満とスネとゴネ、こんな子どもにしてしまったのは私のせいか。遊ぶ時も、命令したり意地悪したりが目立つ娘、こんな子どもにしてしまったのは私のせいか。
 ああ、鬱。





 
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「相棒」さようなら・・・。 [雑感]

 昨年11月くらいから、このブログを再開して、12月はずいぶんたくさん記事を書きました。こんなに更新速度が上がった理由で思い当たるのは、余暇にやっていたこと二つをやめたことです。
 ひとつは、かなりはまっていたネットゲームをやめたこと。モバゲーのパズルゲームにはまっていたんです。特にやめる気はなく、今もやめたつもりもないのですが、ちょっと忙しくしていてやらなかったら、ちょうど飽きがきていた時期と重なって、やらなくなってしまいました。また始めたら、はまっちゃうかも。

 もうひとつは、大好きだったドラマ「相棒」を見るのをやめたこと。夫がさして「相棒」を見ないことから、夜の放送はあまり見なくなっていましたが、再放送を録画して子どもたちが寝た隙に、「相棒」を見ながらお茶するのが楽しみでした。

aibou1.jpg

 そんな頃に描いた絵がでてきたので、アップしてみます。思えば、カイト君のどんでん返しの最終回もまだ見ていなかった・・・。この絵を描いた頃は、カイト君がもう見れないなんて!と思いながら描いたのだっけ。いつかカイト編の最終回も、見るだろうとも思っていたのだけど。
 亀山さんの頃から大好きで、ミッチーの神戸君も好きだったし、ソリさんの冠城さんも悪くないじゃん・・・と思い始め、「相棒」のない暮らしなんか考えられなかったのに。しばらく見るのお休みしていたせいで、見ていないお話いっぱいある!と楽しみにしていたのに。

 それなのに、見るのをやめてしまいました。見れなくなってしまったと言った方がいいかもしれません。現実に、ドラマ以上の事件がありました。私はもう、フィクションをフィクションとして、楽しめなくなってしまったのです。
 さっき、夫がテレビで映画を見ていました。バイオレンスシーンがありました。一瞬も見ていられない気持ちになって、逃げてきました。
 大好きだったサスペンスドラマ、ミステリードラマ、もう見られなくなっちゃったんだなと寂しく思います。それと同時に、これでよかったんだとも思います。またいつか、見る気持ちになるでしょうか。ならないような気がしています。思いがけない別れだったけれど、決別したんだと思います。右京の前から相棒たちが姿を消すのにも重なって、感傷的になります。

 杉下さんたち、「相棒」の登場人物たちが大好きでした。私はミステリーやサスペンスドラマが好きでしたが、謎解きなどにはあまり意識は向かわず、ただ事件が解決して、ほのぼのしたり、しんみりしたり、考えさせられたり、くすっと笑えたりするエピローグが見たくて、見ていたような気がします。
 「相棒」は長らく私の生活の相棒でした。これからだってそうだったはずなのに。まさかこんな別れがくるなんて、思いもしなかった。でも、さよならです。ありがとう「相棒」。




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大学病院にて~今日のコーデと思うこと~ [雑感]

 ちーさんの目の定期健診のため、大学病院へ行ってきました。幸いにも地元に大学病院があります。るーさんが自転車に乗れるようになってからは、自転車で行くようになりました。それまでは、二人子連れのベビーカーとバスでの移動が大変だった・・・。

 今日の私のコーデは、ワイドパンツ。紺のワイドパンツに、トップスは重ね着。白のオックスフォードシャツに紺のカーディガン。白シャツの中に、濃緑の風呂敷スカーフを入れました。靴下は、杢赤。長いパンツなので見えないつもりでしたが、自転車に乗るから結構見えたね。靴は灰色のコンバースで、灰色のベレー帽をかぶりました。上着はGジャン。

 今日は、めちゃめちゃ待ち時間が長かったです。待合で長く待っていると、人の服とかつい見ちゃいますよね。みなさんオシャレだなー。こうしてじっくり見れば、すごくオシャレなんだけど、病院ですから地味な色合いが多いですよね。黒や紺ばかりです。私もほぼ紺だったし。オシャレはTPOですなー。
 でも以前、すごく華やかで流行ど真ん中なドレスの若い女の子が、お友達とはしゃぎながら行くのに出会いました。病院という場所柄には非常に異質にみえたのだけれど、ひょっとしたら・・・退院日だったのかな?すっごい、すっごい、嬉しかったんだろうなー。

 帰り道、駐輪場へ行く横断歩道で、警備員さんが車を止めてくれました。車を待たせているし、急いで渡らなければと思い、「いそいでー!」とるーさんをせかしたら、「ゆっくりでいいんだよ!」と警備員さんに言われました。
 街中のこういう場面であれば、とっとと渡って然るべしという雰囲気を感じるし、「ゆっくりどうぞ」と言われたらそれは厚意で大目に見てもらっているという感じがします。でもここは病院。お年寄りや病気の人が渡る横断歩道です。「弱者ファースト」が、当然のこととして行われているんだと思いました。

 こうして大きな病院へ行くと、普段は思わないことを感じます。大きな病院ですから、重い患者さんもいることでしょう。幸いちーさんは健康に関わる症状で通っているわけではありません。子連れでの長い待ち時間など、大変と思うこともありますが、家族の健康に感謝するとともに、貴重な機会を頂いているような気がします。次の予約は来春です。




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母がいないとタケノコのアクも上手くぬける [雑感]

 夫の親戚からタケノコを頂きました。夫がアク抜きをしてくれますが、以前頂いたときは、エグみが上手く抜けないまま料理しました。私と母は、タケノコってこんなもんだろうとバリバリ食べていたのですが、たいていのものはなんでも食べるはずの夫は食べられず・・・。

 今年は、私の母が留守です。3本のタケノコを、やっぱり夫が下茹でしてくれました。そして、めんどくさがりの私はお湯につけたまま放置。水につけるほどアクが抜けるらしいので、気温がさほど高くないのをいいことに、使うだけ出して調理し、使わないものはそのままにしていました。それがよかったのか、今年はエグみもなく美味しく頂きました。

 思えば、せっかちの母がいると、さっさと水から出して、早く料理しろのプレッシャーが強い。もしくはさっさと母が調理したものを食べるハメになる。いや言い方悪いですが、タケノコに限らず母の料理は非常に・・・。
 そんなアク抜きの待てない母の作ったタケノコ料理に慣れていた私は、タケノコなんてこんなもんと思って食べていたのですね。
 毒親家庭に育つと、それが当たり前なので、疑問も持たないで毒にあてられっぱなしになるのに似ています。

 美味しくできたタケノコ料理は、普通の煮物と、塩炒め、カレー炒め、メンマの4種でした。でも、子どもたちはほとんど食べなかったです。なにしろちーさんは、新しいもの珍しいものが苦手、食べてくれるとは期待していませんでしたよ・・・。

 そして最後のメンマを作って冷蔵庫に入れ、GWに突入。ゴールデンウィーク早々に夫の実家へ帰省し、そして自宅に帰ると、再びタケノコ3本が届いていました。
 お気持ちはとっても嬉しいんです。でも疲れて帰って、再びタケノコ3本を調理することを考えると厳しかった。夫が下茹でしてくれるとはいえ、子どもたちが食べない料理を1週間くらい作り続けなくてはならないわけで、ちょっと涙出る。

 母がいれば、顔の広い母があげたい人に差し上げるところですが、ひきこもりの私に近所づきあいなどあるわけもなく。そこで夫の同意を得て、玄関先にご自由にお持ちくださいの張り紙とともに出しておきました。するとほどなく、小学生の一団が通りかかりワイワイやっていたかと思うと、数時間後にタケノコはきれいに消えておりました。夫はちょっと残念そうだったので、悪かったなと思いましたが・・・ゴメン、めっちゃ疲れてたの。

 思えば、この「ご自由にお持ちください」に私は憧れていました。仏教の言葉で「喜捨」というのがあるそうです。改めて意味を調べてみたら、いろいろ意味があるようなのですが。
 私は四国の遍路道近くに住む人が、お遍路さんのためにちょっとした食べ物や休憩場所を提供することを日常的にやっているということと、「喜捨」という言葉を結び付けて覚えていました。

  今回の帰省では、事故もなく、子どもたちも元気で無事帰ってくることができました。それだけでも感謝です。その感謝の気持ちを込めて、憧れの「喜捨」をさせてもらいました。
 母がいないと、アク抜きも上手くいき、顔も知らない人にお裾分けという夢も叶ったという話でした。


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私の歩きたいアラフィフへの道 [雑感]

 街中で、すごく素敵な女性を見ました。50代前後と思われる優しげなご婦人で、きれいでオシャレな服装をなさっていました。ファッション指南の本から抜け出てきたみたいでした。
 ちーさんとるーさんをママチャリに乗せて爆走中だったので、本当に一瞬目に入っただけですが、あまりに素敵だったので印象に焼きつきました。けれど、何か心に引っかかるものがあったせいかもしれません。この違和感はなんだろうと、しばらく考えていました。

 私は今41歳。おしゃれも楽しい。アラフィフでおしゃれな着こなしをしている女性は、当然目指すべき存在のはず・・・。でも、果たして私は10年後、そうなっていたいのだろうか?そう考えたとき、おしゃれよりフォーカスすべきものがあると感じました。

 小さい子どもを育てている今、目の前に次々現れる課題をこなしていくのが精一杯な毎日。つつがなく毎日が回っていくように、物を減らし、家事を考える。
 けれど10年後、今より子どもたちに手がかからなくなったら。私はどうなりたいんだろう。

 私が「ミニマリズム」の考え方に出会ったのは、ファッションブログを読みあさっていたときでした。
 ファッションってなんて楽しいんだろう、しみじみ思います。でも、久しぶりに40代ファッションのブログランキングを見ていて思いました。私の行きたいところはここじゃないみたい。
 ミニマリズムの「ミニマル」とは、自分にとって本当に大切なもの以外をそぎ落としていくこと。そうすることで、大切なものをより大切にできる。自分にとって大切なものとは何か、それを知らなければ。

 おしゃれは本当に楽しくて、わくわくします。だからこれからも楽しんでいきます。でも50代になる頃には、もう少し別の境地にいたい。
 今はまだ、おしゃれなどせずひきこもっていた若い頃の思い残しを、満たしたいのだと思います。けれどあと10年、50代になる頃には、へんな言い方ですが、オシャレであることにもう少し無頓着になっていたい。ファッションやオシャレであることに、もう少し距離をおきたい。断捨離の「離」です。
 素敵に見られたい、カッコよく見られたい見栄、他人にどう見られるかを気にする他人軸の考え方、そんなものから自由になっていたい。流行も、他人の目線もどこ吹く風で、生きていきたい。

 私の目指すのは、そんな50代なのかもしれません。だからこそ今は、若い頃の思い残しに向き合いつつ、しっかりオシャレを楽しみたいと思います。そうやって楽しんで行くのが、服装に頓着しない50代への道のような気がするからです。


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靴とココロの関係 [雑感]

 失敗したかもしれません。そう思って、悲しくなりました。
 足幅が狭く、パンプスの履けない私ですが、ついに憧れの靴を買ってしまいました。普段の私からしたら、べらぼうに高い買い物でした。ネットショッピングでセミオーダーのその靴が、出来上がってもうじき届くのです。
 でも、改めて注文を見たら、ちょっと幅狭すぎない???これ、届いてもはけないんじゃない???

 甲低幅狭足で、合う靴がないこと。それは私にとってコンプレックスと言えるかもしれません。
 外へ出るための「靴」というアイテム、私にとっては象徴的な意味を持つのかもしれないと思います。
 合う靴がないから外に出られないという、ひきこもりの私の言い訳。合う靴があれば外に出られるのかも、普通の人と同じように振舞えるのかもという、根拠のない期待。
 だから私は靴を買ってしまうのです。

 今回、驚くほど高い靴を買ったのは、外に出て行きたいという希望の故かもしれません。そしてサイズ選びに失敗したのは、外に出ることへの怖れの故。無意識に履けない靴を選んだのです。
 せっかく外に出る気持ちになったのに、まだまだこんなに恐れがあったとは。悲しいです。でもそれはまだ、過渡期だと言うだけのこと。

 靴が届いて、履けなかったら伸ばしてもらえるらしいし、作り直しもしてもらえるらしい。お金は倍かかるかもしれないけど・・・。必要経費かもしれない。足のためでもあるし、心のためでもある。
 一方で、「靴」に象徴的な意味を持たせすぎているとも思います。合う靴がなくても、恐れを克服することはできるはず。靴を言い訳にしないで、靴は靴に過ぎないのだから。いくら靴をそろえても、対人恐怖や社交不安がなくなるわけではない。

 とくに「パンプス」という靴は、私にとって、ちゃんと社会生活できている女性のイメージです。パンプスを履きこなす女性=社会に適応している女性というイメージを、あの靴に投影しているのです。だから、パンプスに憧れ、パンプスが履きたかった。
 結婚して、子どもを生んで育てて、やむにやまれず外に出るようになり、ほんの少し自信がついたのかもしれません。次のステップは、もっと社会に適応したいということ。堂々と自信を持って、大人の女性として。
 でも、物じゃないんだよ。パンプスを履いてなくても、ちゃんと社会に適応した大人の女性になることはできるし、パンプスが履けたからってそうであるとも限らない。すべては私のイメージ、私が意味づけているに過ぎないのです。

 靴の悩みから自由になりたい。
 外に出掛けること、人と関わることへの恐れから、自由になりたい。
 少し前に社交不安についての本を買いました。
 


 ひきこもるという「回避行動」を、なるべく少なくしていこう。
 「買う」という行動をした自分を認めよう。たとえ失敗という経験であっても、買わないという「回避」をしなかった自分を認めよう。あの高い靴を買うことは、私にとっては少なからず社会に適応したいという夢であり勇気だったのだから。
 ちなみに今回の買い物、自分の貯金から出しました。昔、ほんの少しやったアルバイト代、ほとんど使わず貯めていました。靴のサイズが合おうが合うまいが、この経験が良いものとなりますように。すでにいろいろ気づかせてもらいました。

 
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買い物注意報! [雑感]

 昨日の記事を書き、だいぶ鬱状態から上がれたので、再び下がってはいけないと、あちこち片付けたり掃除をしたりしました。

 ちーさんが動き回れるようになって以来、キッチンの開き扉の中にあった米びつを、高い位置においていました。できれば普段は見えないところにおきたいのだけどやむをえず。そして今は、るーさんがいたずら盛りです。
 るーさんのいたずらといえば、コンロ横の小引き出しに手が届くようになり、塩やらコショウやら、時にはカレー粉をぶちまけたり、いろいろやらかしてくれるので、調味料も食器棚に移していました。ちーさんは、それはしなかったので、小引き出しはノーマークだったのね。
 そこで食器棚の段組みを変え、調味料の定位置を作り、米びつも収めました。食器棚の総量が減っていたので、米びつも入りました。しばらくこれで使ってみます。

 掃除も、近頃行き届かないなぁと思っていました。チョコチョコついで掃除を心がけるようにはし始めましたが、意識と習慣の改革は一朝一夕にはいきませんね。
 あと、どうしても散らかるホットスポットの整理整頓がうまくいっていません。子どものおもちゃ関係はともかくとして・・・。幼稚園関係の書類と、裁縫道具や救急箱、ドライバーなどの道具箱、ガムテープや紐なんかを入れている棚があるのですが・・・ここがよろしくない。裁縫道具に関しては、定位置が定まらず、あちこちにおいてあります、要改善。
 
 いろいろやることはあるのですが。
 欝っぽいとき、注意すべきなのは買い物。手っ取り早く気分が上がる、買い物という行為をしてしまいがちです。以前から、いくつか必要なものはあったのですが、それを皮切りにネットショッピングに走ってしまいそう!
 必要度が高いのは、私の下着の買い替え。暖かくなってきたので、子ども用の薄手のパジャマが気になりはじめました。ちーさんの夏用のパンツももう一枚・・・水着も新調しないといけないかな・・・そんなものをネットで探していると、目に付くかわいい子供服。
 子供服ってかわいいじゃないですか。もう基本的に、小さいというだけでかわいい。お値段も安いものからある。テンション上がっちゃうんですよね・・・。自分のものだったら、かろうじて我慢できても、子どものものだと、必要かも?あってもいいかも?となってしまう。
 ああああああ・・・
 ショッピングサイトから目を離すために、今日もブログを書きました。
 でも、見ていると楽しいよ・・・欝の頭にはちょうどいい癒しだよ・・・危険、危険。掃除でもしようかな・・・。



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