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絵を描こうとして怒りが湧いてきた話 [他の家族]

 オリンピックが盛り上がっています。私も、楽しませてもらっています。日本人なら当然のごとく男子フィギュアスケート。それはもう、感動させていただきましたとも。
 最近絵を描きはじめた私は、当然の流れとして、羽生結弦選手を書こうと思い立ったわけです。上手い下手に関係なく、絵を描く人間なら、あの美しさを描いてみたいと思うわけです。そして筆を取ったわけですが、難しい。すごく、似ない。まあそれはいいのです。問題は、それに付随してものすごく悲しい、怒りの感情が湧いてきたことです。

 私の母親は、すべての事柄において、口を挟み手を出さずにはいられない人です。いくら言っても、口も手も、収められないようです。散々言ってお願いして、やっとガマンしてもらうこともあるのですが、その様子があまりにも苦しそうなので、発達障害を疑いました。衝動を抑えるのが、非常に困難な様子なのです。
 なんにせよ、母は私が絵を描いていても、口や手を出さずにはいられませんでした。それが私にとっては、非常に悪い思い出として残っています。その怒りは、いまだに解消されず、こうして出てきてしまうのです。

 私には、すべての物事に対して萎縮してしまう傾向があります。それは、好きなはずの絵に対するときも同じです。私が絵を描く時には、萎縮する気持ちとの戦いという側面があります。今は、それに向き合っています。辛くて描くのをやめる時期があったとしても、やっぱり私は絵を描くことが好きなので、もっと楽しめるようになりたい。心の重石を取りたいのです。

 「トロフィーチャイルド」という言葉を知りました。親の満足のために賞されることを求められる子ども、およびそのような子育てを指すと言っていいでしょうか。この概念を知った時、ああ、私もまさしくそうであったと思いました。それを求めていた母には、全く悪気はありませんでした。母自身劣等感が強く、子どものトロフィーによって自尊心を満足させる方法にしがみつかざるをえなかったのでしょう。私が実際に成功することもありましたが、そんなときは母や伯母たちにこぞって、成功感を奪い獲られてしまったような気がしました。絵に口を出されたり、手を加えられたりしたことと同様に、いまだに私が抱える悲しさと怒りの所以です。

 絵に関しても、トロフィーチャイルドの呪縛を取り去ることが必要だろうなと思っています。
 本物のトロフィー、メダルを獲得した選手たちは、最初から呪縛などなかったのかもしれないし、呪縛を突き抜けた末の結果なのかもしれないし、それぞれのことで、テレビ観戦者には知る由もないことです。ただ今は、感嘆と声援の声をテレビの前で送っているだけです。彼らの姿を、気持ちよく描けたらどんなにいいだろうと思います。






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ストレスとベイカーパンツ [他の家族]

 スタイリスト本を買ったせいで、欲しいものがいっぱいになってしまいました。

 今日は買い物しない。そう決意したのはいいけれど、逆にストレスを引き寄せてしまいました。
 買わないけれど、服のことが気になって仕方ないので、母の着ていない服から、使えそうなものを探そうと思ったのです。
 タメコミアンの母のタンスはいっぱい。母の姉たちも世代的に当然タメコミアン。そこから回ってきたであろう、見たことのない服も多数。母は現在、その姉の一人の介護の手伝いに、一年近く家を開けています。
 タンスを見ていたら、主不在の部屋を片付ける気になって、少しばかり掃除しました。母の部屋はリビング続きの日当たりのいい場所にあるので、冬の間だけでも使わせてもらえたらと思いました。

 お歳暮やら、クリスマスプレゼントやら、他にも一言声をかけておいたほうがいいことがあったので、久々に私のほうから母へ電話したのです。
 普通に用件が済み、部屋や服を借りる許可も得て、電話を切りました。

 し・か・し
 甘かった。
 何が甘かったって、私自身の母に対する病的反応を甘く見ていました。

 物であふれる母の部屋が、少しばかりの片付け(物は捨てていません)で、少しばかり見た目がスッキリしました。そこで気分の良くなった私の頭に、ちらと考えがよぎりました。
 こんなふうに、スッキリした部屋だったら私も母の介護ができるかもしれない・・・・・。
 なんて甘い考えだったのでしょう。

 現在80代の母。もうずっと前、私が30代の頃から、母の介護のことは頭にありました。絶対に、絶対に、無理だとも。もしもそういうことになったら、介護殺人さえ起きかねない、私の精神状態でした。
 そのことに変わりはないのだと、一本の電話でわかった気がします。距離を置き続けるしかないのだと。

 今日のところは、それ以上考えるのはやめましょう。
 目下の問題は、こんな風にストレスがあると、衝動買いしてしまいそうなこと!
 良くないよね、衝動買い・・・。この秋は、ずいぶんそんな風に買ってしまった気がします。
 ああ、でも、今、このベイカーパンツとやらが気になりまくり。      



 実物を見ない買い物はしないほうがいいと肝に銘じたはずなのに。

 

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母の日のご機嫌は? [他の家族]

 ゴールデンウィークから、ずっと疲れていました。5月に入って、幼稚園の用事も増えてきて憂鬱。
 でも今日は、ちょっと元気になりました。ときどき行く小さな動物園で、乗馬してきたんです。
 
 乗馬には憧れがあって、私は馬が好きです。いつもは大人は乗れないんだけど、今日は母の日にちなんで特別に乗れるとのこと。ほんの短い距離だけど、お馬に揺られてテンション上がって、ちょっと元気になったんです。やっぱり動物に触れると癒されるようで。ありがとうございました、母の日。

 昨日は、一日子どもたちと過ごしてぐったりしていたところ、夫がカーネーションをくれました。
 まさか、まさか、この私が、母の日のカーネーションをもらうようになろうとは、10年前、20年前の私には想像もできなかったことでしょう。そう思うと、いまだにこれが現実とは思えない気分になります。

 ゴールデンウィーク明けに帰ってくるかもしれないといっていた私の母は、まだ帰って来ていません。別居生活継続中です。母がいないことのメリットが大きいので、ホッとしているような、不気味なような。
 今夜あたり、連絡を入れてみましょうか。母の日のご機嫌伺いということで・・・夫に頼んで。

 母との連絡は、夫に頼ってます。ごめんよ。私が声を聞きたくないし、私と会話すると母がどう出るかわからないし。母は素直で単純なのだけれど、その出方たるや変則的でよくわからないのです。ヘンに刺激して、やぶ蛇になったら困る。

 こう書いていて思うのは、夫に感謝しなきゃなということ。ありがとう。来月の父の日は、何かしてあげようね。父の日スペシャルで乗馬もできそうだけど、それは夫が喜びそうにありません。ちょっといいお酒でも買っておきましょうか。


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GW帰省前に捨てるべきもの [他の家族]

 これまでもゴールデンウィークやお盆などに、夫の家族に会いに行きました。対人恐怖と社交不安の強い私、さらに育児疲れもあって、非常にプレッシャーを感じていました。
 でも育児疲れがかえってよかったのかもしれません。目的をシンプルにできたのです。
 夫の親、お義父さん、お義母さんに、孫の顔を見せること。
 はっきり言って、帰省の目的はそれだけなのです。

 プレッシャーで鬱になりそうだったら、子どもの顔を見せることができたらすべて良し!と言い聞かせてやり過ごしました。
 そして帰宅後も、もっと上手く立ち回れたらよかった、もっと気の聞いたことが言えたら良かった・・・などとくよくよしそうになったら、子どもの顔を見せただけて任務完了!と言い聞かせました。
 今年の帰省が少し気楽になったのは、そのおかげかもしれません。

 良い嫁と思われたい、少なくとも社交不安などない普通の人のように振舞いたい、自分の言動で相手をいい気分にしたい、そんな欲を捨てたら楽になったのです。

 子供の頃、長期休暇には母と母の実家に帰省するのがお決まりでした。母には独身の姉が4人もおり、その4人の伯母の暮らす家へ行ったのです。
 母も発達障害だと思うのですが、4人の伯母もそれぞれ困難な人々でした。彼女らの中で、私は可愛い良い子を演じる必要がありました。繰り返された母の実家への帰省、伯母との関わりは、トラウマレベルの思い出となっています。
 伯母の家に滞在中は、長話に付き合ったり、気の利いたことを言って喜ばせようとしたり、伯母の気分を害さないように緊張していました。4人のうちの1人、その伯母の気分を損なうと大変なことになるという恐怖が、あの家を支配していたような気がします。

 良い子と思われなくてはならない、相手を良い気分にさせないといけない。良い子と思われなかったり、相手を良い気分にさせないことは、致命的な失敗であり、罪であり、恐怖である。私にはそんな刷り込みが、あるのでしょう。
 
 でも夫の家族は違うのです。年に1~2回会う嫁が良い嫁かどうか、年に1~2回会ったとき良い気分にさせてくれる相手かどうか、そんなこと判断しようともしていないし、求めてもいないのです。
 孫の顔が見れて、少しばかり楽しい時間が過ごせたら。息子の一家が健康でつつがなく暮らせているなら。ヘンな言い方ですが、嫁の顔なんてへのへのもへじで、案山子のように立っているだけでもいいような気がします。

 その気楽さたるや。
 良い嫁でなくていい。気の利いたことができなくてもいい。
 ちょっと挙動不審でも、会話が噛み合わなくても、誰もたいして気にしやしない。そんなことがあっても、致命的ではないし、ものすごい悪いことをしたわけでもないし、惨劇も起きない、この世の終わりにもならない。OK?自分に言い聞かせて、帰省します。


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別居生活は終わるのか [他の家族]

 母が一時的に家を離れて叶った別居生活も、4ヶ月を経とうとしています。別居できたことには感謝しかありません。けれど、しばらく前にゴールデンウィーク後半に帰ろうかという話がありました。どうも、そのことが引っかかっているのかもしれません。最近、感情的に落ち着かないんです。

 帰ってくるのかな。別居生活は、ひとまず終わりなのかな。いつか、本当に完全別居する道は開けるのかな・・・。
 
 母が帰ってきたらどうなるのかな。嵐のような母。永遠の3歳児な母。
 私はどうしたら変われるのだろう。あの人を前に、あの人と同居しつつ、共依存の呪縛から自由になるには、どうしたらいいのだろう。
 母がいるとイライラする。そのイライラが子どもに悪影響を及ぼすのではないかと思う。帰ってくると聞いただけで、イライラしているのだから。どうしたらいいのだろう。本当に。お手上げ。
 ゴールデンウィークまであと1週間。悩みはとりあえず棚上げ。


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40代AC~鎮魂の春~ [他の家族]

 私の母は、発達障害です。診断を受けたわけでもありませんが、「発達障害」「大人の発達障害」という言葉をあちこちで聞くようになり、長年苦しんできた母親との関係の謎が解けたような気がしました。それ以来、母のことを発達障害グレーゾーンと疑ってきましたが、オブラートにくるまずともそうなのだと思うようになりました。
 ちなみに亡くなった父親も、こちらは素人目から見てもグレーという疑いをさしはさむ余地なく、発達障害で間違いない人でした。
 私は、二人とは血縁がないので、自分がそうである可能性は低いと思っています。(最近になって血縁のある親兄弟と会うようになり、こちらはこちらで私にそっくりで、問題ありとは思いますけど。)

 その発達障害の母と私は、長年共依存関係にありました。私は結婚してもなお、母親から離れることができませんでした。共依存状態から脱することが難しかったのです。
 ところが今、その母親と別居できています。年末に母親が姉妹の介護の手伝いに実家に帰り、4月になろうとする今まで、帰ってこないのです。これまでに幾度となく実家帰りを繰り返してきましたが、いつもすぐに帰ってくるので、3ヶ月も留守にすることはありませんでした。そう、私と母が3ヶ月も離れて暮らしたのは初めてのことです。
 
 母が出て行ってすぐ、私の感じたことといえば、「母がいないというのはなんとありがたいことなのだろう」ということでした。母のいない爽快感、肩の荷の下りた感じ、日々の生活がうまく回ってゆく・・・、なんと言えばいいのでしょう。こんな気持ちは初めてです。だって、母と暮らさないのが初めてなのですから。母と暮らさなければどんなにいいだろうと想像したことはありました。でも、こんなふうに実現するとは。
 母がいないと、子供たちとの関係も上手く回っていくような気がするのです。

 母と別居したい。それは私の長年の願いでした。それと同時に、それをしてはいけないことのように思っていました。多くの母親との関係に苦しむ娘がそうであるように。
 いつか自然な形で、私の願いが叶うことを願ってきました。それが今なのだと思います。さらに自然な形で、完全な別居の形態が私たちの当たり前になってほしい。そう思います。

 今私たちは、父の残した土地に暮らしています。母のいない家にいると、父の魂の安らかにあらんことを祈る気持ちが上がってきます。いつか、父のことも母のことも安心して、この土地を離れることが私の夢です。私がここを離れても、父も母も祖母も大丈夫だと心から思って、離れられるように。手放せるように。
 新しい季節を前に、そんなことを思う春です。

 

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父の命日に霊柩車を見た [他の家族]

 今日は父の命日です。
 先日、買い物をしたときのおつりが7.029円=7.29だったので、思い出して欲しいのかなぁと、ここ数日、父のことを思い出していました。そして今日は、珍しく黒塗りの車、霊柩車を見かけました。

 断捨離を繰り返し、最近だいぶすっきりしてきたと感じています。私が断捨離をするとき、心のどこかに、あんなに物の多い家でなければ、父は死ななかったのではないか、という思いがある気がします。父は、心の病で死にました。
 
 最近になって、確信に近く思うことがあります。私を育てた父と母は、「大人の発達障害」なのではないかと。二人とも真面目で善良なことには間違いないのですが、私はことごとく機能不全家庭に育った人と同様の症状を示していたのです。

 数えてみれば、来年は父の二十回忌になります。そんなに時間が経ったとは信じられない気もします。でも、こうして父のことを思い出せるようになったのは、歳月のおかげなのでしょう。
 私はこれからも断捨離を続けます。それが父への手向けになるのではないかと、物の少なくなった食器棚を見て感じました。


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